
最初の頃はもう知っていることだらけだった授業も後半に入り
今は知らなかったこと (またはすっかり忘れてたこと)ばかり
毎回「あ〜〜〜あれは、そうゆうことだったのか!」と目から鱗の連続です。
ポルトガル語は時制がたくさんあって、同じことを言うのにも
正解の言い方が沢山あって、どう使うかは、その時の気持ちに左右される
心と直結した豊かな言語なんだ!と改めて思う。
昨日はみんなで長文読解をしました。^^
あまりに難しくて、一度読んでもさっぱり理解できなかったけど
みんなで力をあわせて、先生に手伝って貰って物語の全貌が理解できた時、
その深い内容に 教室が静まり返ってました。(笑)
そのくらいインパクトのある話だったので、ググってみたら、
いいもの見つけた〜。やっぱり有名な話だったんだ。
【こころのチキンスープ2】より抜粋。
ある大きな病院の小さな病室で、重い病気にかかった二人の男が寝ていました。
このちっぽけな部屋には、外の景色が見える窓がただひとつあるだけでした。
その窓のそばで寝ている男は、毎日午後になると一時間だけ、ベッドの上で上半身を起こすことが許されていました。
肺にたまった水を出すためです。
しかし、壁際の男は起き上がることもできず、いつもあお向けに寝ていなければなりませんでした。
毎日、午後になって身体を起こす時間が来るたびに、窓際の男は寝たきりの男のために外の様子を話して聞かせました。
窓からは池のある公園が見えます。
子どもたちがあひるや白鳥にパンを投げ与えたり、おもちゃのボートを浮かべて遊んでいます。
若い恋人たちが、手をつないで樹の下を歩いています。
花は咲き乱れ、青々とした芝生が広がり、ソフトボールを楽しむ人たちもいます。
その向こうの木々のあいだからは、ビルが建ち並ぶ街の風景も見えます。
寝たきりの男はこうして、ひとつひとつの話を心から楽しみました。
もう少しで池に落ちそうになったり子どものことも、サマードレスに身を包んだきれいな女の子たちのことも聞きました。
それを聞いているうちに、いつしか外の光景を自分の目で見ているような気分になったものでした。
ある日のこと、寝たきりの男の脳裏をひとつの思いがよぎりました。
「なぜ、あいつだけが、外の景色を見る楽しみを与えられているんだ?俺にだって……」
彼はそんなことを考える自分が恥ずかしいと思いましたが、その考えを打ち消そうとするたびに、ますます不満がつのります。
窓側のベッドに移るためなら、何でもしてやるぞとさえ思い始めたのです。
ある晩のこと、寝たきりの男がいつものようにぼんやり天井を見つめていると、隣で眠っていた男が突然目をさまし、ひどくせき込み始めました。
息をするのも苦しそうです。
男は看護婦を呼ぼうと、枕元のスイッチに必死で手を伸ばそうとします。
寝たきりの男は、そんな様子をただじっと見ていました。
隣の男の呼吸が止まってしまったのに気づいても、何もしませんでした。
朝が来ました。看護婦はその男が死んでいるのを見つけ、静かに病室から運び出しました。
寝たきりの男はほとぼりが冷めるのを待って、窓側のベッドに移してくれるように頼みました。
看護婦たちはその望み通り彼を隣のベッドに移し、気持ちよく眠れるようにと毛布をきちんとかけ直してくれました。
男は彼女たちが病室から姿を消すとすぐに、痛みをこらえながら、片ひじをついてやっとの思いで身体を半分起こしました。
そして窓から外を見たのです。
そこには、灰色の高い塀が張りめぐらされているだけでした。
おわり

キャンバス内 学校の匂いって心地よい