まだ いろいろ不明な点が多いのですが
Assis Valente という古いブラジルの作曲家について
色々しらべていたら、思っていたのとぜんぜん違う感じでびっくりしてます。
Novos Baianosのアルバムに入っているBrasil Pandeiroという曲や
Boas Festasというクリスマスソングが有名なのですが
自分が歌うれレパートリーについては、歌詞の意味はよく調べる物の
誰が作ったのか?というのは名前をチェックするぐらいで
素通りしてしまうことが、私も多いのですが、、、、、
最近ライブの時に作っている紙芝居で前回のBoas Festasに続いて
(誰が作ったか気にせずに)選んだ曲が、あとで調べたらまたAssis Valentの曲だった!!
ということに驚いて!
もっと掘り下げようとしたのがきっかけです。
とにかく日本語での情報が、まったく、ぜんぜん、ないないない!!!!なのですよ。
ので、仕方なしにYOUTUBEにあるドキュメンタリー番組や
ブラジルのサイトを観て情報を集めています。
なんだか、思っていたよりかわいそうな人でした。。。。。
私のようにAssis Valente(アシス・ヴァレンチ)の事を知りたい人がいるかもしれないので
箇条書き程度書いておきますね。
ただし!!私のポル語力が怪しいので、間違いあるかもしれません。ご了承を!
1911年バイーア州生まれ、ドリバル・カイミー、アリ・バホーゾやノエル・ホーザと同じ時代に
活躍したサンバなどの作曲家です、1930〜年代当時のすばらしいアーティストたちが
沢山彼の曲を歌いました。一番有名な曲はクリスマスソングのBoas Festas
ブラジル本土でもこの曲はみんな知っている国民的定番、でも、誰が作った曲か?というのは
あまり知られていなくて、彼の偉大な功績を考えると知名度が低すぎるかもしれません。
幼少期はとても複雑で、親と離れで暮らしていた?金持ちの家に預けられたが
そこでは本当の子供の様に扱われたわけではなく、仕事させられていた。とても頭のいい子だったらしい。
その後叔父さんの義歯専門医の所で暮らし、そこでは義歯技士として仕事もした。
17歳〜18歳ごろにリオに出てきて、イラストレーターの仕事(当時の有名な雑誌にも掲載されていた)
をしつつ、サンバの作曲も始めた。マンゲイラ(サンバチーム)に出入りしていた。
その後カルメン・ミランダに出会う。
彼女はたくさん彼の曲を録音し、大ヒットを連発した。
でも彼女はバンドを引き連れアメリカに行ってしまった。
(アメリカに行った後も)カルメン・ミランダの為に曲を書いて送ったが
彼女は録音を拒否。(Brasil Pandeiroにはアメリカを茶化す歌詞があるから?)
Assisはとてもつらい思いをした。
結婚して離婚した子供は娘が一人。しかしゲイ説が濃厚。
生活が苦しく、借金苦から何度も自殺を試みる
手首を切ったこともあるし、コルコバードから飛び降りたこともあるけど
奇跡的に助かった。
最後はガラナに蟻殺虫粉末をいれたものを飲み1958年帰らぬ人となりました。

なかなかの男前ではっ♪
Novos Baianos / Brasil Pandeiro