茨城県結城市にて とあるパーティーで演奏してきました。
安心、ほっこりの、ケペルさん、須古さん、重久さんと一緒です。
普通の快速電車で、新宿からだと一時間半ぐらいで着く。
イメージよりもずーっと近い場所です。
雨男のケペルさんは、今日は力を発揮せず、快晴!(笑)
空気がおいしかったーー。 会場はこの建物の3階です。
初めての場所って、いわゆるアウェイみたいなモノだけど、
このメンバーなので、マイペースに楽しく歌うことができました。
音楽の盛んな結城市の施設だけあって、PAもよかったし
ノイマンのマイクの力も発揮されてたな!!^^
パーティーなので珍しくドレス
打ち上げでは結城市の名物 すだれ麩 をいただきました。さっぱりしてて美味しい。
パーティーのケータリングも頂いちゃってたので、
今日は食べすぎ、やべーーーーです。(笑)
新年そうそう、いいこともありました。
パーティーのクジ引きコーナーでは、司会者さんのアシスタントとして
クジ(番号の書いてある紙)を引く係 をさせて頂いたのですが
なんと 最後の一等を決める時に 自分の当りの番号を 引いてしまうという超展開!
(ヤラセじゃないんだよぉーーーーほんとにーーーー)
旅行券ゲット!です。私、旅行運いいのかな。^^
あっという間の楽しい旅の一日でした。ミュージシャンのお兄様方と、
結城市の皆様ありがとうございました!
○セットリスト
Mas que nada
Antonio Carlos Jobim Medley
Berimbau
幸せの花
Samba medley
上を向いて歩こう
早速、こちらにお邪魔しています。
ところで、曲目を見て思ったのですが、日本語の歌も歌われたのですね。
実は、以前から思っていたのですが、例えば、ボサノバシンガーが、日本のポピュラーソングを歌ったら、聴き手の方はどうお感じになられるか?ということです。
僕の先生である臼田道成氏も自分のライブやアルバム内で、日本の歌を歌っています。
ところが、僕は日本の歌とブラジルの歌を同じステージで聴くのも歌うのも抵抗があります。
けれど、BOSSA NOVAはブラジル人が自国の言葉で歌うものだし、ジョアンジルベルトは、いろいろな国の歌を録音しています。
日本人が日本語で日本の歌を歌ったところで何がいけないのでしょうか?
…なにも。
でも出来れば日本語のボサノバであって欲しい、 でも、日本語のボサノバって、作れるのでしょうか?
現在の日本人のボサノバミュージシャンの方々は、これに、まさしく直面しておられるのではないかと思います。
もし、日本語で成功すれば、ボサノバはずっと、多くの方々に親しまれるでしょう。
でも、リスクもあります。つまり失敗作なのに大衆受けしてしまい、ボサノバが、取り返しのきかない誤解された音楽として根付いてしまうということです。
かつて、アメリカでBOSSA NOVAは英語で歌われ、ヒットしましたが、結局、ジャズの一ジャンルと 定義され、未だにそうです。
これが日本で繰り返されては悲しいことです。
ポルトガル語の学びは、大切です。
しかし、日本人ならではのBOSSA NOVAも、日本人として、欲しいものです。
いずれにしろ、現れるべき人が現れて、総てを塗り替えるのだと思います。
それが誰なのか、さあ、誰なんでしょうね。
BOSSA NOVAにしろ日本の歌にしろ、人々はいつも、新しいものを待っていますからね。
ところで、旅行券、当たりましたか、良い旅を!
boa viagem!
日本の曲に限らず、私もよくある「○○BOSSA」みたいな企画物の
ボサノバカバーアルバムに抵抗を感じることもあるのですが、
逆にすごく良いと思うものもあるし、
許せる、許せないの線をどこで引いているのか
感覚的なもので、良くわかりません。(笑)
それは人それぞれだと思いますが
加藤さんはそのハードルが高いのでしょうね!
自分でやってるオリジナル曲は解りやすく「日本語のボサノバ」と言ってしまうこともあるけど
「ブラジル音楽の影響を受けて作った曲」です。
ブラジルの曲と並べて演奏することに
全く抵抗無い、どころか、滅茶苦茶大切な要素。(私にとっては)
作る人も、聴く人も好きにやって、
加藤さんのいうように、
いつか、ボサノバの進化の枝葉が花開けば素敵ですね。
加藤さんもギターできるのだし、自分でも作ってみてはどうですか?
そのこだわりを持ってすれば、相当よいものが生まれそうな予感。^^
コメント返し、ありがとうございます
実は、日本語のボサノバというものは、現れないかも…と思っています。 けれどBOSSA NOVAのエッセンスを基本に作られた日本語の新しい歌謡曲は、有り得るでしょう。
かつて、小野リサさんが雑誌のインタビューで、日本語ではBOSSA NOVAは無理、とおっしゃっていました。
要するに、日本語とポルトガル語の韻律の違いに問題があるということでした。
歌手である野沢さんになら、このあたりのことは、よくお分かりかと存じます。
僕もギターで弾き語りながら、作ってみた時期もありましたし、すでにある歌謡曲に手を加えて、ボサノバらしくしてみたこともありました。
それはそれで、楽しいのですが、結局、コードや 弾弦法で、本場のBOSSA NOVAに劣ってしまうばかりで、つまりはオリジナルのBOSSA NOVAになおさら 戻ってしまいました。
先に行って、どうなるかは、わかりませんが、今はブラジルBOSSA NOVAをポルトガル語で弾き語ることに専心しようと教室へ通っています。
ただし、歌詞の意味の解釈には、大いにこだわることにしています。
歌は歌詞内容がわからないなら、自分にも他人様にも元来、無意味なものになるでしょう。
案外、日本語のボサノバは曲や言語の違いよりも、ブラジルにはあるけれど、日本にはなかったメッセージ性を自然な日本語に翻訳出来た時に生まれるような気がします。
それには、やはりポルトガル語の学びが欠かせないでしょうね。
突然ですが、日本文学の文豪、夏目漱石は、英語を学んで小説を原書で読めるようになって後、日本語の小説家となり成功した人です。
最初に外国の文化を日本語に変換する人は元の言語を、まず自分のものにしなければならない、という良い例だと思います。
それはそうと、東京は珍しく雪です。う〜さむ!今日は一日のんびり過ごします。
野沢さんも風邪など引かれないよう暖かくして、お過ごしくださいね。
entao, ate breve!
加藤まさひろ